感染拡大抑制のために自粛に協力してくれてありがとうございます。
あなたのブログ「医療に協力したら何が返ってくるの?」を拝見しました。
私は40代の後半の医師です。
自分の20代、30代のころを思い浮かべると、いろんな人と出会って、話をして、食事をして、楽しく過ごした記憶があります。
人との接触を制限される1年間。若い人にとってはとても長いものだったと思います。そしてこれがいつまで続くのか。先の見えない中で、それでも自粛を続けてくれていること、自分だったら、そして医療者でなかったとしたら、できていただろうかと考えることもあります。
医療者として、そして高齢の家族を持つ一人として、心からの感謝を申し上げます。
なぜ「自粛」をしなければならないのか。
私は、これまで周囲に自粛への協力を呼び掛けてきました。でもそう問われて、確かに疑問が出るのも無理はないかもしれないと思いました。
私なりに考えてみました。
新型コロナは、高齢者や多疾患の人を狙い撃ちにするウイルスです。
80代だと感染すると8人に1人が亡くなります。
だから、高齢者を守るために自粛をしよう、そして感染して入院した人たちで病院がパンクしないように、それによって助けられる病気で死ぬ人を減らすために感染拡大を防ごう。
政府や医師会はそう呼びかけています。
確かに、若い人は感染しても重症化することはまずありません。脱毛や味覚障害などの後遺症に苦しむ人もいますが、それでも死ぬことはまずありません。
若い人にとっては「風邪の一種」という表現もあながち間違いではないのかもしれません。
では、仮に新型コロナが、20代・30代だけを狙い撃ちにするウイルスだったら。
その年代の人は感染すると8人に1人が亡くなるという致死率の高さです。感染力は強く、若い人の集まるイベントのみならず、無症状の中高年や子供たちから家庭内や職場、大学での感染拡大が問題になってきました。
感染するのは自己責任、感染したくなければ若い人は家から出なければいい。未成年と40代以上は自粛する必要はない。それよりも経済を回そう。子供は重症化しないから学校は継続しよう。入院ベッドが足りなければ自宅待機すればいい。自宅待機中に悪化しても入院できないものは仕方ない。治療が受けられない可能性があることを覚悟しておいてもらいたい。
政府や医師会はそんなことをいうでしょうか。
おそらく、このウイルス感染症で亡くなる人を一人でも減らそうと最大限の努力をするはずです。
人と人との接触を減らそう。不要不急の外出は避けよう。感染リスクの高いのは会食の場なので、外食をする場合は一人か家族だけで行くようにしよう。子育て世代が多いから、学校も休校にしたほうがいい。社会全体で若い人たちを守るために全力で協力し合うはずです。
なぜ?
何のために?
それは高齢者を守るため、医療を守るためではない。
「誰もが安心して暮らせる社会」を守るためだと思います。
明日、死ぬかもしれない・・
そんな不安や恐怖を感じることなく、毎日が暮らせること。
これは、自由に生きたい!と思う以前の前提条件ではないでしょうか。
自粛要請は、高齢者を守ること、医療の提供体制を守ることが目的ではありません。
どんな状況においても命が守られる、医療提供体制は保障される、そんな安心を守ることにあるのだと思います。
もちろん、安心を守るために大切なのは医療だけではありません。
気候の変化を回避できる生活空間が確保されること、安全な水や食事が提供されること、エネルギーが途切れなく提供されること、衛生的な環境が維持されること、治安が維持されること、災害時に必要十分な援助が行われること・・
この「誰もが安心して暮らし続けられる仕組み」が「社会」です。
私たち人間はいわば裸のサルです。
ジャングルやサバンナでは1週間と生存できないかもしれない脆弱な生物が、明日死ぬことを心配せずに生きられるのは、私たちが「社会」を形成しているからです。
どんなに戦闘力が高くても、一人で生きているつもりでも、誰かを支えているつもりでも、実は誰もがたくさんの人に支えられて生きています。
「一人で生きている」という人もいますが、それは、支えられていることに気づいていないだけです。支えられることに気づくことなく、そして感謝の気持ちを伝えることなく、「一人で」生きていける。私たちは「社会」という、そんな高度な支え合いのシステムの中で暮らしています。
大きな災害に直面した時、私たちはこれまでの「安心」という当たり前が、緻密なシステムによって守られてきたのだということを初めて知ることになります。
そして災害によって被害を受けた個人やシステムは社会全体の協力によって修復され、再び、日常が始まります。
いま、みんなで守ろうとしているもの。
それは高齢者ではありません。医療システムでもありません。
私たち一人ひとりの「安心」です。
「死ぬかもしれない」という恐怖や不安なく生活できる社会そのものです。
誰もが協力をしているのに、罵るような物言いで、名指しで非難するような態度。
適切ではないと思います。
私自身も反省しなければなりません。
これには2つの要因があることを釈明させてください。
1つは強い危機感です。
特に医療の現場にいると、日々増加していく感染者に、これまで経験したことのない医療システムの破綻に対する恐怖、命の選択というプレッシャーに押しつぶされそうになっていました。この危機感を少しでも感じてほしい、そんな気持ちが先だって、配慮が足りなかったことは間違いありません。本当に申し訳ありません。
もう1つは、「自粛」にご協力いただけない一部の人たちが、感染を拡大させているかもしれないということです。多くの人が自粛にご理解・ご協力いただけているということはもちろん了解しています。ただ、この人たちになんとかメッセージを伝えたい、そんな思いが「名指し」のような形になってしまったことは否めません。
あなたの協力によって、守られた命があるはずです。
その人は、あなたがこれまでの生活の中で、社会を支える特定の誰かに特別な謝意を示すことができなかったように、あなた個人に感謝の気持ちを伝えることはできません。
そして、私たちの社会の完成度は決して高くはありません。社会から十分な支援が得られない、そんな人たちを支えようとしている人たちがいます。彼らも社会から感謝の気持ちを伝えられることはありません。それでも、誰もが安心して幸せに暮らせる社会を実現するために、日々努力を重ねています。
私が訪問診療をしている高齢の患者さんやご家族の中には、社会全体が感染拡大の抑制に取り組んでくれていることを心強く感じています。緊急事態宣言後、新規感染者が減少しつつあることに対し、私も心からの感謝の気持ちを伝えたいです。
私たちが守るべきは、安心して暮らし続ける社会。
そのために大切なのは、誰もが支え合って生きているということを理解した上で、非難し合うのではなく、感謝し合うこと。
そんな重要なことに気づくことができました。
あなたの問いに対する答えになっているのかわかりません。
だけど、あなたのこれまでの「自粛」は、間違いなく誰かの命を救い、そして社会の安心を守ることにつながったと思います。そして将来、あなたが危険な立場に置かれても、この社会はみんなであなたを守るために努力をします。
もし、あなたが「自粛をやめる」という決断をするとすれば、それは、将来にわたる自分自身の生活に対する安心を損ねることにはならないでしょうか。社会は自分を守ってくれないかもしれない、そんな不安を生むことにはならないでしょうか。
新型コロナウイルスのことは、この1年で多くのことがわかりました。
安全に生活を楽しむ方法もわかってきましたし、リスクの高い人たちに対するワクチンの接種も間もなく始まります。自粛による生活の変化の中には、あなたも指摘されているように、これまでにないプラスの部分もあるかもしれません。そして新しい環境の中で、新しい社会を作っていくという方向性もあるはずです。
そして感染が収束すれば、一定の範囲内で、これまでの日常生活を再開できると思います。この新型コロナという災害が終息するまで、長い戦いになるかもしれませんが、お互いに感謝の気持ちを忘れずに、一緒に頑張ってもらえたらうれしいです。